似合わない上着 その2 ~交通安全法話~

前回は、あなたが親の教えを守り交通安全に気をつけてきたから、今まで元気でいることができるという話を書きました。

すると、ある人が思い出話をしてくださいました。

思い出話を語ってくださったのは、俊子さん(仮名)です。

俊子さんが小学二年生の時に、お父さんは俊子さんにオレンジ色の上着を買ってきました。オレンジは俊子さんが嫌いな色でした。どうしても俊子さんに似合うと思えませんでした。
俊子さんは青や緑が好きで、オレンジのような明るい色は嫌いなのです。

俊子さんのお父さんは亭主関白で、家庭では絶対権力を持っていました。家庭では、父の言うことは絶対で、家族全員が守らなくてはいけないというルールがありました。
お父さんは時に無理難題を言うことがあります。さすがにお父さんの言い分がおかしいときは、母が父をたしなめていました。母に言われると、父は仕方なく槍を収めたものです。

しかし、俊子さんの上着だけはお母さんも反対しませんでした。俊子さんにはオレンジの上着が似合わないことは分かっていたはずです。にもかかわらず、外出するときは俊子さんに絶対オレンジの上着を着せました。
なぜ? 俊子さんには理由が分かりませんでした。俊子さんには、オレンジ色の上着に嫌な思い出しかなかったのです。

後に俊子さんは、オレンジ色の似合わない上着は交通事故防止のためだと聞かされました。上着はオレンジ色なので、俊子さんがどこにいても、夜間でも目立つ色です。
俊子さんが幼いころ、スーパーの駐車場で交通事故に遭いそうになったことがありました。俊子さんはあまり記憶に残っていないようですが、お父さんとお母さんは肝を冷やしました。
それ以来、俊子さんがどこにいても目立つようにとオレンジ色の上着を着せることが習慣となったのです。

続く

似合わない上着 その1 ~交通安全法話~

5月ごろに鳴門市で交通安全祈願祭を行っています。
ありがたいことに毎年声をかけてくださり、法話をしています。

今年の交通安全法話のテーマは「似合わない上着」です。さっそく始めてみましょう。

昨年の交通安全祈願祭でお札を受けてから今日まで、無事故無違反で過ごした方はどれぐらいいらっしゃいますか?
おそらく全員の方が無事故・無違反でお過ごしになったことと思います。お札のおかげ、仏さまのおかげですね。

さて、4月は入学シーズンです。
新一年生が、自分の体と同じぐらいのランドセルに黄色いカバーを掛けて登校しています。
仲良しの友だち同士で手を繋ぎながら登校する子もいます。
おしゃべりしながら登校する子もいます。
道ばたの小さな虫が気になって、座り込んでじっと観察している子もいます。

ここで、交通安全祈願祭に来ている皆さんの時間を巻き戻して、小学校へ入学したころを思い出してください。
あなたが初めて小学校へ登校するとき、親から受けた教えを覚えていますか?

・この道は車がよく通るから危ないよ
・この角は車がスピードを出しているから、飛び出してはいけないよ
・ここに溝があって、はまり込むから気をつけなさい
などなど

あなたが小学校に入学してから、ずっと今まで親に教わったことを守ってきたからこそ、今まで交通事故に遭うことなく元気に生きているのです。

続く

Amazonのお坊さん便はマッチングサービス

前回は、「お布施の金額はお気持ちでが通じない」を書きました。

今回は、Amazonのお坊さん便に話を戻します。
お坊さん便とは、法事や葬式をしたいけれどお寺のご縁がない人と、寺を持たないけれど葬式や法事を通じて人の役に立ちたいと考えるお坊さんを
Amazonに出店しているお坊さん便が仲介するマッチングサービスです。
布施の金額も明示され、費用に関する心配をしなくても良いというメリットがあります。
寺を持たないお坊さんにとって、法事や葬式に呼んでもらえるようなシステムができたことで、どのようにして需要を掘り起こすのかという問題が解決します。

高野山真言宗の寺院数は3,500ヶ寺ぐらいです。1ヶ寺に住職は1名ですから、3500名の僧侶がいればいいという計算になります。
しかし、一般家庭に生まれ育ち、志をもって僧侶となる方も少なからずいます。こういう方は高野山や信者数の多い寺院で職員として勤務するほか、寺はなくとも心だけは僧侶として生活しておられる方もいます。
純粋な気持ちで僧侶になったにもかかわらず、収入源がなく葬式や法事の依頼を心待ちにしている方もいるのです。

では、Amazonのお坊さん便はすべてにおいてすばらしいサービスなのでしょうか。
私は一抹の不安を覚えるのです。

お布施の金額は「お気持ちで」が通じない

前回は「金額明示は仏教ではない」を書きました。

では、お布施の金額はお祝儀のように相場のあるものです。どのようにして相場を知ればよいのでしょうか。

冠婚葬祭は、近隣に住む人たちが互いに祝ったりお悔やみをしたりしてきました。
しかし、現在では、となりは何をする人ぞ?となりました。隣人の職業をはじめとして家族構成などはプライバシーの問題として明かさなくなりました。
互いにプライバシーを守ることができる環境は心地よいのですが、冠婚葬祭のときに不便を感じることがあります。
婚礼や葬儀にお包みする金額は、となり近所に聞けばだいたい把握することができました。しかし、聞くことができるほど親しくしている人がいなければ、相場はまったく分からないものです。

葬儀のとき、お世話になるご住職に布施の金額を聞いても「お気持ちで」と言われることがあります。
となり近所と付き合いがなければ、相場も分かりません。住職に聞いても要領が得られなければ喪主は途方に暮れてしまいます。

私は、近い関係の者が亡くなり、悲しみに暮れることなく葬儀の準備をしている喪主に負担をかけてはいけないと考えています。このため、喪主には私から布施の相場(金額)をお知らせするようにしています。
今までの経験則に基づき、算出した布施の金額をお知らせしています。

私は、葬儀は故人の旅立ちを見送るために喪主や故人の親族が涙を流すことができる席であると考えています。
喪主が気になることがあれば私のできる範囲で解決しておき、故人と向き合ってほしいと思います。

金額明示は仏教ではない

前回は、「そもそも布施とはなに?」を書きました。

仏教における布施とは、修行者に対してせめてもの施しをと布を差し上げたことに由来しています。
金品を差し上げていたわけではありません。

全日本仏教会は、談話において葬儀や法事は営利企業が金額を明示して行うサービスではないとコメントしています。

しかし、一般的に違和感があることも事実です。葬儀や法事の布施は読経サービスに対する対価であると考えている方が多いです。

私は、お布施は結婚式における祝儀のようなものであると考えます。
祝儀は相場はあっても金額は決まっていません。いくらでなくてはいけないという決まりはありません。結婚式に招いてもらった御礼として持参するものです。

つまり、葬儀や法事におけるお布施はお祝儀のようなものなのです。

お坊さん便がけしからん!と談話を発表

前回は、2016/5/25にAmazonの新サービス「お坊さん便について」を書きました。http://houwa-kanonji.com/blog/amazon%E3%81%AE%E3%81%8A%E5%9D%8A%E3%81%95%E3%82%93%E4%BE%BF%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%81%91%E3%81%97%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%8B/

Amazonの新サービス「お坊さん便」について賛否両論があります。
全日本仏教会は理事長名で談話を発表しています。http://www.jbf.ne.jp/news/newsrelease/1600.html

談話の要旨は、「お布施はサービスの対価ではない」と言うことです。なぜなら、布施は修行のひとつであり、見返りを求めないものだからです。

お布施はサービスの対価ではないとした談話に違和感を感じる方もおられることでしょう。
そもそも、布施とは何でしょうか。

今から2500年前、お釈迦さまが悟りを開き人々に説法をするため遊説していたときのことです。
お釈迦さまの教えを聞き、自分も出家して修行したいという人が現れ始めました。出家者に対してお釈迦さまは、「すべてを捨てて出てきなさい」と言いました。修行者が持っていてもいい物は4つしかありませんでした。ひとつめは白衣です。いわゆる下着です。ふたつめは衣(ころも)です。つまり、服です。3つめは袈裟(けさ)です。4つめは托鉢用のお椀です。修行者の食べ物は、すべて町の人々の施しによってまかなわれました。
修行者たちは、衣がボロボロになってもそのままの姿で托鉢をし、修行に励みました。町の人たちは、修行者が身繕いをすることなく生活している様子を見て、せめて何か役に立つものはないかと探しました。その結果、衣がほつれたところを縫うために、当て布として布きれを差し上げました。

つまり、修行者に”布を施した”ので、布施なのです。

町の人は、修行者に何かを求めていたのでしょうか。救いを求めていたのでしょうか。きっと見返りを求めずに布を施していたことでしょう。
現在でも、僧侶の袈裟は小さな布を縫い合わせて作られています。布施の心を忘れないようにという想いを込めて、僧侶の自戒を込めて袈裟を身につけているのです。

 

10年ぶりの再会

滅多とないチャンスがあり、奈良県の山添村にある不動院へお参りさせてもらいました。

住職の前川さんは、高野山で開催された布教講習会でお世話になった方です。
その当時、前川さんは高野山の職員をしておられました。私は、ただの布教講習生でした。

おかげさまで、私は布教講習会を終えて合格通知をもらうことができ、高野山本山布教師心得として活動することができています。

それから10年以上の歳月が過ぎましたが、Facebookで不動院をお参りしたいという連絡をしたところ、快く受け入れてくださいました。
普通であれば、あなた誰?何をするために来るの?という反応が返ってきてもおかしくないものです。ところが、田舎の末寺で、高野山に何の面識もない私のような者を受け入れてくださることは、ありがたいです。

前川さんは「とりとめのない話」と言っておられましたが、私にとっては有意義な時間でした。互いの近況報告をするだけでも楽しいものです。9月に私の寺でワークショップイベントを開催できるよう計画中です。そのときには、前川さんにもお越しいただけるよう手配したいものです。

さて、消滅寺院が話題に上っています。
私の寺も、前川さんの寺も緩やかな限界集落にあります。真言宗の寺院は限界集落にたくさんあり、50年後には46%の寺が消滅してしまう危機に瀕しているという統計データがあります。
しかし、限界集落に寺があるから存続が危ぶまれるというのは早計であると私は考えます。今までは檀家制度として寺に檀家がついていました。今後は、寺の住職に檀家がつく時代が来ているように思います。つまり、人に檀家がつく時代です。「この住職に葬式をしてほしい」「この寺で法事を執り行いたい」という檀家の声が大きくなっているように思います。

私は、檀家さんに「あなたに葬式をしてほしい」と思ってもらえるような僧侶なのかを自問自答しています。そして、檀家さんに慕われるように存在になりたいと思っています。
空海は1200年以上も人々に慕われ続けています。空海の末弟である私も、同じように人々に慕われる存在になりたいものです。