太釈さんの新刊発売!

おかげさまで新刊を発売することができました。

電子書籍キンドルにて新刊『積み重ねる生き方 ~空海に学ぶ自分の人生に満足する法~』が発売中です。ネット書店Amazonで入手できます。

新刊(電子書籍のみ)

積み重ねる生き方 ~空海に学ぶ自分の人生に満足する法~』

中村太釈 著 フォレスト出版 2016/4発行

積み重ねる生き方

 

高野山の修行で心が折れてしまい、13年も高野山へ行けなかったダメ僧侶の著者が、導かれるように再び高野山へ向かいます。
そして、真言宗寺院の副住職となります。
さらに、著者は難関資格を突破して空海の教えを伝える本山布教師心得として歩み始めます。
空海を学び始めて10年以上になる著者が、空海の生き方にヒントを得ます。

空海は、高野山を開き、1200年たった今でも慕う人が絶えません。
著者は、「恐れ多い考え方ですが、もしかすると空海もはじめは凡人だったのではないか」と仮定してみたのです。
そうすると、空海の生き方が浮かび上がってきました。

本書は、空海が凡人から聖人になっていったのは積み重ねる生き方があったからだと説きます。
そして、空海が生涯語らなかった空白の7年間に積み重ねていたことは何かを考察しています。それは、あなたにもできることなのです。

 

※ インターネットショップAmazonにて、電子書籍キンドルでお買い求めください。

※ Amazonレビュー(本の感想)を書いてくださった方にはプレゼントがあります。

仏教的な救いも必要ですが、仏教は万能ではありません

hasunoha問答で、いいね!が多かった投稿について詳しく紹介します。

元の質問はこちら http://hasunoha.jp/questions/13034

 

質問者の方は、幼い頃から父親に罵詈雑言、暴力を受け育ったようです。
しかし、本人は 「私はいい子ではなかったので、仕方がないと諦めて生きてきた」と書いています。
その一方で 「私が悪い」と思っていながらも、父のことをとても憎んでおり、 いつか必ず復讐する、刺し違えてでも屈服させてやると思いながら生きてきたようです。

質問者の中で大きな葛藤が心の矛盾となっていった過程が垣間見られます。「自分がいい子でないから」と父親からの暴力(言葉の暴力も含む)をかわそうとしています。自分が悪いと思い込むことで、現状を回避しようとしているのです。しかし、質問者の中に悪いところが見当たらないという矛盾が生じてきます。いつまでも「自分がいい子でないから」という自己暗示は効かないのです。

結果として、質問者は父親に対する復讐心が生まれてしまいました。父親を屈服させることで、質問者の正当性を確認しようとしたのでしょう。つまり、暴力は暴力しか生まないのです。

仏教では、中国の儒教の影響もあり父・母に孝行することが゛徳を積むことにつながるとされています。質問者も父親に孝行することができない上に復讐心を持ってしまった良心のかんしゃくに押しつぶされようとしているように私は感じました。仏教で導く以前に、質問者が心のバランスを取り戻すことが必要だと私は思うのです。

暴力で相手を屈服させたいという歪んだ感情が大きくなった、つまり、心の闇が大きくなってしまったら専門的な治療が必要です。仏教のできる範囲を超えています。僧侶は仏教で導く範囲なのか、専門的な治療が必要なのかを見極める目が必要なのです。

空海も泣きました

hasunoha仏教問答で「いいね!」が多かった質問をもう少し詳しく紹介します。

元の質問はこちら http://hasunoha.jp/questions/12964

弘法大師

質問者 ひじきさん

Q. 小学校低学年のときから鼻炎で笑われる日々を過ごしました。中学、高校と休みがちで、生きている意味も分からなくなってしまいました。

A. 後の世に偉人として伝わっている人はたくさんいます。高野山を開いた空海もその1人でしょう。では、空海は順風満帆な人生を送ったのでしょうか。

実は、そうではありません。
空海は香川県の出身です。父は、香川県の県知事のような職に就いていました。当時は学問を志そうとしても生まれの身分により学校に入学することさえできませんでした。空海は地方の県知事の三男坊です。京都の朝廷や公家の子息とは身分が違いすぎました。それでもなお学問を志し、大学で教鞭を執っていた伯父の計らいもあり難関大学の試験を突破しました。文字どおり寝る間も惜しんで勉学に没頭しました。

しかし、空海は学びを深めるにつれ疑問が湧いてくるのです。

「私は学問を修め中央官僚となったとしても、貧しい人々を救うことはできないのではないか。身分にかかわらずすべての人を救うことができるのは仏教ではないのか」

空海はついに学問を捨てて大学を中退してしまいます。空海は仏教を志すため、ひとり山岳修行に励みます。

おそらく、その頃に残した言葉でしょう。

「仏の弟子である私、空海は仏の境地にたどり着きたいと願っています。しかし、どのような道に進んで良いのか分からず、幾たびとなく涙に暮れました」

後の世に偉人として名を残した空海も悩み苦しみ、涙をこぼしました。
いま辛い苦しみのトンネルにいることは、先が見えずに不安になります。不安だからこそ、もがき苦しむのです。だれもが順風万派なの人生を送ったわけではない。苦しみのトンネルを越えたところに灯りがあることは歴史が証明しています。

仏教では、周りの人はすべて先生であると説きます。

ひじきさんは、鼻炎により苦しみましたが、誰よりも鼻炎で苦しむ人の気持ちを理解できるのではありませんか。後の人生にきっと役に立つことであろうと思います。