3月の行事

觀音寺における3月の行事予定です。

 

1.  マンダラエンディングノートファシリテーター養成講座

3月17日(土) 午前10時~午後1時、3月18日(日) 午後1時~午後4時30分  觀音寺本堂にて

※ 3月17日(土) はマンダラエンディングノートを体験できます。 参加費は3,000円です。

マンダラエンディングノートファシリテーター養成講座

2.写経・写仏

3月20日(火)  午前10時~ 觀音寺本堂にて

参加費(奉納料)500円

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3.阿字観体験会

3月23日(金) 午前9時30分~ 觀音寺本堂にて

参加費(奉納料)500円

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4.不動護摩祈祷

3月29日(木) 午前10時~ 觀音寺本堂 東の間にて

添え護摩札 300円/枚

※ 添え護摩札とは、お願いごとを書く木の御札のことです。祈祷終了後、祈祷のしるしとして紙札をお渡しします。

護摩祈祷

お布施とは?その2

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

お布施とは?その2

 

修行者は、朝と昼の食事の時間(一日二食)に街に出て托鉢(たくはつ)をしました。修行者が食べる物を街の人々に少しずつ分けてもらうためです。

瞑想(めいそう)などの修行と托鉢(たくはつ)だけで生活している修行者は、やがて着ているものはボロボロになってしまいます。修行者が着ているものは破れたところを繕(つくろ)いながら生活しています。

 

修行者の姿を見ていた街の人々は、修行者の質素すぎる生活があまりに気の毒に思いました。
そこで、街の人々は修行者が着ているものを繕うために使う布を「せめて当て布だけでも」と施しました。修行者に布を施したことから「布施(ふせ)」という言葉が生まれました。

 

お坊さんが身に付けている袈裟(けさ)をよく見ると、継ぎはぎになっています。
今の時代に袈裟の大きさ(寸法は縦110センチ、横190センチ位)の布が手に入らないわけではありません。しかし、あえて袈裟は継ぎはぎにして縫製(ほうせい)されています。その理由は、お釈迦(しゃか)さまの時代から今に続く「布施の心を忘れないように」という思いからです。

如法衣

私は袈裟を身に付けるとき、布施の心も身にまとっていると考えています。
姿が見えないご先祖さまに対して供養の心を伝えたいと思っている方々に対して、私は布施の心で接していきたいのです。

 

仏教に布施という教えがあるおかげで、私たちは誰かに対して優しくなることができます。
「せめて少しだけでも、あなたの役に立ちたい」という心が生まれるからです。
お釈迦さまから空海(くうかい)を通じ、私に至るまで脈々と仏教を伝えてくださった人々と私の御縁と恩に感謝しています。

 

お布施とは? その1

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

お布施とは? その1

御布施(おふせ)とは何でしょうか。

布施(ふせ)を漢字で書くと「布を施す」となります。
布施といえば、一般的にはお寺さんにのし袋に入れて現金を渡すものですね。しかし、漢字で書くと布を施すと書きます。現金とはまったく関係のない字を書くのはなぜでしょうか。

 

布施とは、本来はお坊さんに現金を渡すことではありません。布施の由来は、今から約二千五百年前にさかのぼります。インド北部でお釈(しゃ)迦(か)さまが悟りを開いて身に付けた教えを人々に説いて歩いていた時代です。

 

出家(しゅっけ)を漢字で書くと「家を出る」と書きます。
出家とは、世俗の束縛を捨てて修行の道に入ることです。お釈迦(しゃか)さまの時代では、出家するときは本当に家を出ていました。持って出て良いものは四つだけでした。三つの袈裟(けさ)と町の人に食べ物を少しだけ分けてもらうために手に持っていく托鉢(たくはつ)用の器だけです。

托鉢

三つの袈裟とは、
①大衣(だいえ)…正装用で托鉢や王宮に招かれたときに着用しました。
②上衣(じょうえ)…修行用に用いました。
③中衣(ちゅうえ)…日常生活に使用しました。

それ以外、例えば家族や財産、友人・知人などの交友関係、家屋(かおく)などすべてを捨ててお釈迦さまの教えを学ぶために修行の道に入りました。
出家者はお釈迦さまのもとで瞑想(めいそう)などの修行をし、教えを聞きました。

 

つづく

一杯のチャンポン その2

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

一杯のチャンポン その2

 

電話注文を受けた二、三日後 お昼のピークを過ぎて少し落ち着いた頃に、見覚えのない男性が店のどんぶりをもって来店しました。店の親子は「見かけない人だな。誰かに頼まれてうちの配達どんぶりを持ってきてくれたのかな」と思いました。店主の父は、どんぶりを受け取りながら「ありがとうございます。ところで失礼ですが、どちら様ですか。お名前は」と聞きました。

 

どんぶりを持参した男性は「あのー」と少し言いづらそうにしながら、ぽつりぽつりと話し始めました。

 

「二、三日前にちゃんぽんを配達で持ってきてもらった者です。忙しい時間帯にもかかわらずチャンポン一杯だけの配達をありがとうございました。チャンポンを食べた翌日ぐらいから、母は体調が悪化してしまい昨日亡くなりました。『このチャンポンは美味しいね、美味しいね』と言っていました。チャンポンをおいしそうに食べる母は幸せそうでした。母にとっては最後の食事となってしまいました。おいしいチャンポンを、ありがとうございました」

どんぶりを持ってきた男性は、深々とお辞儀をし、少し寂しそうに笑って店を後にしました。

 

店の親子は「持っていってよかったね」「そうだね」と温かな心持ちになりました。 それからは病気がちで一人暮らしのお年寄りにはチャンポン一杯でも配達をするようにしました。

 

たった一杯のチャンポンでも、人を幸せにする力があるのです。そして、たったひとつの「ありがとう」で生きる力を持つことができます。ありがとうは、人と人をつなぐ御縁の言葉なのです。

 

空海(くうかい)は、「ものごとにはすべて始めがあり、終わりがあるのは世の条理(じょうり)である。生命(いのち)あるもの必ず死滅するというのは、この世に定められた法則である。すべては多くの縁によって生じた仮の姿である」と言いました。

 

ありがとう

 

人が亡くなっていくのは世の条理であっても、良い縁によって私たちは生かされています。良い縁を生かすためには「ありがとう」を忘れないことが大切なのです。

一杯のチャンポン その1

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

一杯のチャンポン その1

 

「一杯のちゃんぽん」という話を紹介いたします。どんな小さなことでも「人を幸せにできる」という内容です。

親子で切り盛りしている食堂がありました。観光地が近いため、昼時はとても忙しくなります。時に応じて出前もしています。

ある日、昼時の繁盛期に一本の電話がありました。

「すまんけんど、チャンポンを一杯だけの配達はしてもらえんのやろか」

ちゃんぽん

普段から一杯だけの配達は断るようにしています。「すみません、一杯だけの配達は……」と言いかけたとき、電話のお客さんは「実は風邪引いてしまってね。動けんのよね」と申し訳なさそうに言いました。電話を受けた息子は、電話のお客さんを気の毒に思い、店主の父と相談しました。店主の父は少し考えて「ええよ」と返事をし、チャンポン一杯だけの配達を引き受けました。その後、電話のお客さんから時々注文をもらうようになりました。配達のついでに電話のお客さんに話を聞けば、2、3年前にご主人を亡くして一人暮らしをしている七十代後半の女性です。店主である父が配達すると電話注文をした女性は、とても喜んでいました。「よかったな」と店を切り盛りしている親子で温かい気持ちになりました。「高齢の女性が一人暮らしで、病気したときは大変だろうな」と頭の片隅で思いを巡らせました。