5月の行事予定(觀音寺)

觀音寺における5月の行事予定です。

1.写経・写仏

5月21日(月)  午前10時~ 觀音寺本堂にて

参加費(奉納料)500円
※持参するものは特にありません。觀音寺で準備いたします。

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2.阿字観体験会

5月25日(金) 午前10時~ 觀音寺本堂にて

参加費(奉納料)500円

真言宗のイメージ瞑想である阿字観を体験できます。昼寝から覚めたようなスッキリ感を味わってください。

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3.不動護摩祈祷

5月29日(火) 午前10時~ 觀音寺本堂 東の間にて

添え護摩札 300円/枚

※ 添え護摩札とは、お願いごとを書く木の御札のことです。祈祷終了後、祈祷のしるしとして紙札をお渡しします。

護摩祈祷

 

4.東日本大震災福光支援チャリティ落語会

桂七福 似顔絵ミニサイズ

5月27日(日) 午後4時~ 觀音寺本堂にて

・落語 桂七福  法話 中村一善(觀音寺住職)

 

東日本大震災から6年が過ぎました。

すでに記憶から遠のいてしまいつつある震災から息長く被災地を支援するため、チャリティ落語会を開催します。

震災を忘れないよう、岩手・福島・宮城で支援を必要としている子どもたちに募金を送りたいと思います。落語を聞いてハハハと笑い、法話でちょっぴり考えて被災地に希望を送りましょう。

※ チャリティですので募金をお持ちください

※ 募金だけの参加も歓迎いたします

※ 桂七福さんの落語CD、藍染めの手ぬぐい、中村太釈著『人を想うこころ』、オリジナル法話CDを販売します。売上金は全額募金といたします

※ 募金は上方落語協会を通じて被災地に送ります

悟りに至る修行とは?

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

悟りに至る修行とは?

 

仏教では悟りに至る修行は6つあるといわれています。六波羅蜜(ろくはらみつ)といいます。

経典には、「六波羅蜜(ろくはらみつ)を実践する者は、なまけ者は精進(しょうじん)するようになり、自分の物を出し惜しみするような者は布施(ふせ)をするようになり、怒れる者は優しくなるものだ」とあります。

※九條錫杖経(くじょうしゃくじょうきょう)より

精進はお線香に例えられます。お線香は、一度火をつけるとずっと最後まで燃え続けます。突然に反対側から燃え始めることはありませんし、途中から燃えることもありません。

お線香のように一度決めたことは少しずつでもやり続けることで、とても手の届きそうにない目標を達成することができるのです。

例えば、私は十年間法話を続けてきたので本を出版することができました。法話を続けることで講演依頼が来るようになりました。法事の席で五分間の法話をすることで、檀家さんから信頼を頂戴することができました。

毎日、誰かに「ありがとう」と言ってみるだけでも、あなたの信頼度が向上します。小さなことでも精進することが目的達成の近道なのです。

ありがとう

精進という言葉を知っていますか?

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

 

精進(しょうじん)という言葉を知っていますか。

 

何事にも飽きっぽい私に対して、亡くなった祖母は「精出(せいだ)してやりなさいよ」とよく言っていました。

私は、年寄りの戯言(ざれごと)と思って気に掛けていませんでした。しかし、精進することで遠すぎて諦めていたような目標にも到達することができることに気がつきました。

精進

 

私の法話をまとめて本として出版することも、遠い夢のように思っていましたが、電子書籍を含め4冊も出版することができました。

一歩は小さくてもコツコツと精進することで遠くの目標にも手が届くことを知りました。

仏教において精進することは大切であると説きます。特に私が精進の大切さについて考えるようになったのは、仏教の教えにある六波羅蜜(ろくはらみつ)を知ってからです。

色即是空 その6(最終回)

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

仏教は色即是空であるという質問に、私が答えました。

 

色即是空(しきそくぜくう)の「色(しき)」というのは、「目に見えるもの、そこにあるもの」という意味です。

あなたは、目に見えるものに煩(わずら)わされています。
「ブランドのハンドバッグが欲しい」「車が欲しい」「アクセサリーがほしい」「かわいい洋服がほしい」など。
あなたに見えているものは、そこにあるだけです。あなたが自分のものにしようとするから欲が生まれて煩(わずら)わしいのです。

もし、全部「そこにあるだけだ」と思うことができたなら、自分から「手放す」ことができます。すると、自分の中がカラッポになり、何の煩(わずら)いもなくなるのです。これを空(くう)といいます。

般若心経

空(くう)とは空(から)っぽの容器のようなものです。何も入っていないので、生まれることもない、無くなることもない、垢(あか)がつくこともない、きれいになることもない、増えることもない、減ることもない、知覚することもない、怖がることもない、煩(わずら)いのない状態のことです。ですから、煩(わずら)いのない状態を「空(くう)」と言うのです。「色(しき)」も「そこにあるだけ」なら自分の中はカラッポとなるので、「空(くう)」ですよね。だから、「色(しき)は即(すなわ)ち是(こ)れ空(くう)なり 空は即ち是れ色なり」となるのです」

全部、そこにあるだけだと思うことができたなら、自分から手放すこともできます。すると、何の煩(わずら)いもないのです。