色即是空 その3

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


色即是空 その3

 

お釈迦(しゃか)さまが西の門を出たところに、葬式の列を見ました。

お釈迦さまは「あれは何をしているのだ」と、家来に聞きました。
家来は「身内の者が死んで、葬式をしているのです。人は誰でも死んでいくのです」と答えました。

 

お釈迦さまが北の門を出たところに、修行僧がいました。
お釈迦さまは修行僧に自ら声をかけました。「あなたは何をしているのですか?」
修行僧は「苦しみから逃れようと修行しているのです。年老いていくことも、病を患うことも、死んでいくことも、苦しみです。どうしたら苦しみから逃れることができるのか、道を探しております」

この時、お釈迦さまは出家(しゅっけ)し修行僧になることを決めたのです。

老いの苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ。この3つの苦しみから、お釈迦さまは逃れようとして修行僧になったのです。

あなたも苦しみを抱えています。苦しみとは、息苦しいことではありません。「思い通りにならないこと」です。つまり、煩(わずら)わしいことです。例えば、約束の時間に間に合わない、自分の思ったように仕事ができない、自分の持っているお金が足りない、などたくさんあります。もし、あなたがすべて煩(わずら)わしいことを捨ててしまえば、苦しみから逃れることができそうです。

色即是空 その2

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

色即是空 空即是色 その2

 

お釈迦(しゃか)さまはインド南部(今のネパールのあたり)の王子様に生まれ、何も不自由することのない生活をしていました。

ある時、彼は家来が止めるのも聞かずに、生まれて初めて城の東西南北にあった城門の外へ出てみました。

四門出遊

東の門を出たところに、老人がいました。
「あれは、誰だ」とお釈迦さまは家来に聞きました。
家来は「老人でございます、王子様。人はみな年老いていくのです」と答えました。

お釈迦さまは、
「私もあのような姿になるのか」とたずねました。
家来は「さようにございます。王子様も、私も、誰でも年老いていくのです」

 

次に、お釈迦(しゃか)さまは南の門を出てみました。
門を出たところに、病人がいました。

お釈迦さまは家来に
「あの者は何をしているのだ」
と聞きました。
「病(やまい)に伏せっているのでございます、王子様」と答えました。

お釈(しゃ)迦(か)さまは、
「誰でも病になるのか」と聞きました。
家来は、「さようにございます。いつ何(なん)時(どき)病にかかるのか、分かりません。老若男女を問わず病になります」と答えました。

続く

色即是空 その1

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

色即是空 空即是色 その1

 

私がお坊さんとして人の前に立つ時、仏教に関心のある若い方から質問を受けることがあります。あるとき私は三十代ぐらいの女性に質問を頂戴しました。

「あの~、聞いてもいいですか。仏教って、何でしょうか」

 

簡単そうで、お坊さんには答えにくい質問です。あなたが、「日本って、どんな国ですか?」と、外国人に聞かれても質問が漠(ばく)然(ぜん)としすぎていて返答に困ってしまうのと同じです。

 

あなたがよく知っているはずのことでも、漠(ばく)然(ぜん)としている質問には答えにくいものです。仏教とは何か、という質問に対して、仏教のことに詳しいはずの私も、一瞬、戸惑ってしまいました。

しかし、私はお坊さんです。仏教の教えをわかりやすく伝えるのが仕事です。

お坊さん

私は「煩(わずら)わしいことを無くすことですよ」と答えました。

思いがけない答えだったからか、彼女は目を丸くして驚いていました。

そんな彼女に対し、私はお釈(しゃ)迦(か)さまの若いころの話を伝えました。興味を持った彼女は、らんらんと目を輝かせています。

続く

おかげさま

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

おかげさま

あなたが、「お元気ですか」と聞かれたとき、「おかげさまで」と答えることがあると思います。おかげさまも仏教由来の言葉です。

おかげさまの「かげ」は、あなたの目に見えないもの、つまり神仏やご先祖さまを指しています。さらには、自分では気が付いていないけれども、恩を受けていることに対する感謝の言葉です。

合掌

 お寺では位牌(いはい)には、戒名(かいみょう)に続いて「霊位(れいい)」と書き先祖供養をします。

仏教では、私たち人間をはじめ生きとし生けるもの(例えば山や川、草や木に至るまで)すべてに仏の心を持つと説きます。

故人は、生前の善い行いにより仏の心がさらに輝きを増しています。故人が放つ仏の光は、あなたが迷い込む心の暗闇に明るい光を差し込んでくれます。暗闇にひとすじの光が頼りになるように、仏の光りによってあなたの迷いの心もすっきりと晴れていくのです。

あなたのお祖父ちゃんやお祖母ちゃんまでは、生前の顔を知っているかもしれませんが、それ以前に亡くなったご先祖さまは顔も知らないことでしょう。あなたはご先祖さまの顔を知らなくても、ご先祖さまはあなたのために仏の光で照らしてくださるのです。

つまり、あなたの知らないところで感じる恩に対して「おかげさま」なのです。

袈裟がつぎはぎになっている理由は?

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

坊さんの袈裟は継ぎはぎになっている意味は?

 

如法衣

お坊さんが身に付けている袈裟(けさ)をよく見ると、継ぎはぎになっています。

今の時代に袈裟の大きさ(寸法は縦110センチ、横190センチ位)の布が手に入らないわけではありません。しかし、あえて袈裟は継ぎはぎにして縫製(ほうせい)されています。

その理由は、お釈迦(しゃか)さまの時代から今に続く「布施(ふせ)の心を忘れないように」という思いからです。

私は袈裟を身に付けるとき、布施の心も身にまとっていると考えています。姿が見えないご先祖さまに対して供養の心を伝えたいと思っている方々に対して、私は布施の心で接していきたいのです。

仏教に布施という教えがあるおかげで、私たちは誰かに対して優しくなることができます。「せめて少しだけでも、あなたの役に立ちたい」という心が生まれるからです。

お釈迦さまから空海(くうかい)を通じ、私に至るまで脈々と仏教を伝えてくださった人々と私の御縁と恩に感謝しています。

お布施とは?その2

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

お布施とは?その2

 

修行者は、朝と昼の食事の時間(一日二食)に街に出て托鉢(たくはつ)をしました。修行者が食べる物を街の人々に少しずつ分けてもらうためです。

瞑想(めいそう)などの修行と托鉢(たくはつ)だけで生活している修行者は、やがて着ているものはボロボロになってしまいます。修行者が着ているものは破れたところを繕(つくろ)いながら生活しています。

 

修行者の姿を見ていた街の人々は、修行者の質素すぎる生活があまりに気の毒に思いました。
そこで、街の人々は修行者が着ているものを繕うために使う布を「せめて当て布だけでも」と施しました。修行者に布を施したことから「布施(ふせ)」という言葉が生まれました。

 

お坊さんが身に付けている袈裟(けさ)をよく見ると、継ぎはぎになっています。
今の時代に袈裟の大きさ(寸法は縦110センチ、横190センチ位)の布が手に入らないわけではありません。しかし、あえて袈裟は継ぎはぎにして縫製(ほうせい)されています。その理由は、お釈迦(しゃか)さまの時代から今に続く「布施の心を忘れないように」という思いからです。

如法衣

私は袈裟を身に付けるとき、布施の心も身にまとっていると考えています。
姿が見えないご先祖さまに対して供養の心を伝えたいと思っている方々に対して、私は布施の心で接していきたいのです。

 

仏教に布施という教えがあるおかげで、私たちは誰かに対して優しくなることができます。
「せめて少しだけでも、あなたの役に立ちたい」という心が生まれるからです。
お釈迦さまから空海(くうかい)を通じ、私に至るまで脈々と仏教を伝えてくださった人々と私の御縁と恩に感謝しています。

 

お布施とは? その1

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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お布施とは? その1

御布施(おふせ)とは何でしょうか。

布施(ふせ)を漢字で書くと「布を施す」となります。
布施といえば、一般的にはお寺さんにのし袋に入れて現金を渡すものですね。しかし、漢字で書くと布を施すと書きます。現金とはまったく関係のない字を書くのはなぜでしょうか。

 

布施とは、本来はお坊さんに現金を渡すことではありません。布施の由来は、今から約二千五百年前にさかのぼります。インド北部でお釈(しゃ)迦(か)さまが悟りを開いて身に付けた教えを人々に説いて歩いていた時代です。

 

出家(しゅっけ)を漢字で書くと「家を出る」と書きます。
出家とは、世俗の束縛を捨てて修行の道に入ることです。お釈迦(しゃか)さまの時代では、出家するときは本当に家を出ていました。持って出て良いものは四つだけでした。三つの袈裟(けさ)と町の人に食べ物を少しだけ分けてもらうために手に持っていく托鉢(たくはつ)用の器だけです。

托鉢

三つの袈裟とは、
①大衣(だいえ)…正装用で托鉢や王宮に招かれたときに着用しました。
②上衣(じょうえ)…修行用に用いました。
③中衣(ちゅうえ)…日常生活に使用しました。

それ以外、例えば家族や財産、友人・知人などの交友関係、家屋(かおく)などすべてを捨ててお釈迦さまの教えを学ぶために修行の道に入りました。
出家者はお釈迦さまのもとで瞑想(めいそう)などの修行をし、教えを聞きました。

 

つづく

一杯のチャンポン その2

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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一杯のチャンポン その2

 

電話注文を受けた二、三日後 お昼のピークを過ぎて少し落ち着いた頃に、見覚えのない男性が店のどんぶりをもって来店しました。店の親子は「見かけない人だな。誰かに頼まれてうちの配達どんぶりを持ってきてくれたのかな」と思いました。店主の父は、どんぶりを受け取りながら「ありがとうございます。ところで失礼ですが、どちら様ですか。お名前は」と聞きました。

 

どんぶりを持参した男性は「あのー」と少し言いづらそうにしながら、ぽつりぽつりと話し始めました。

 

「二、三日前にちゃんぽんを配達で持ってきてもらった者です。忙しい時間帯にもかかわらずチャンポン一杯だけの配達をありがとうございました。チャンポンを食べた翌日ぐらいから、母は体調が悪化してしまい昨日亡くなりました。『このチャンポンは美味しいね、美味しいね』と言っていました。チャンポンをおいしそうに食べる母は幸せそうでした。母にとっては最後の食事となってしまいました。おいしいチャンポンを、ありがとうございました」

どんぶりを持ってきた男性は、深々とお辞儀をし、少し寂しそうに笑って店を後にしました。

 

店の親子は「持っていってよかったね」「そうだね」と温かな心持ちになりました。 それからは病気がちで一人暮らしのお年寄りにはチャンポン一杯でも配達をするようにしました。

 

たった一杯のチャンポンでも、人を幸せにする力があるのです。そして、たったひとつの「ありがとう」で生きる力を持つことができます。ありがとうは、人と人をつなぐ御縁の言葉なのです。

 

空海(くうかい)は、「ものごとにはすべて始めがあり、終わりがあるのは世の条理(じょうり)である。生命(いのち)あるもの必ず死滅するというのは、この世に定められた法則である。すべては多くの縁によって生じた仮の姿である」と言いました。

 

ありがとう

 

人が亡くなっていくのは世の条理であっても、良い縁によって私たちは生かされています。良い縁を生かすためには「ありがとう」を忘れないことが大切なのです。

一杯のチャンポン その1

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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なぜ、恩が大切なのか。
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一杯のチャンポン その1

 

「一杯のちゃんぽん」という話を紹介いたします。どんな小さなことでも「人を幸せにできる」という内容です。

親子で切り盛りしている食堂がありました。観光地が近いため、昼時はとても忙しくなります。時に応じて出前もしています。

ある日、昼時の繁盛期に一本の電話がありました。

「すまんけんど、チャンポンを一杯だけの配達はしてもらえんのやろか」

ちゃんぽん

普段から一杯だけの配達は断るようにしています。「すみません、一杯だけの配達は……」と言いかけたとき、電話のお客さんは「実は風邪引いてしまってね。動けんのよね」と申し訳なさそうに言いました。電話を受けた息子は、電話のお客さんを気の毒に思い、店主の父と相談しました。店主の父は少し考えて「ええよ」と返事をし、チャンポン一杯だけの配達を引き受けました。その後、電話のお客さんから時々注文をもらうようになりました。配達のついでに電話のお客さんに話を聞けば、2、3年前にご主人を亡くして一人暮らしをしている七十代後半の女性です。店主である父が配達すると電話注文をした女性は、とても喜んでいました。「よかったな」と店を切り盛りしている親子で温かい気持ちになりました。「高齢の女性が一人暮らしで、病気したときは大変だろうな」と頭の片隅で思いを巡らせました。

ほんと、きれいだね

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

ほんと、きれいだね

 

あるデパートの売り場でのことです。小学生の女の子とお母さんがデパートに来ていました。

お母さんは白い杖を持っています。おそらく目が不自由なのでしょう。目の不自由なお母さんを女の子が連れて行ったのは、ひな人形の売り場でした。ちょうどひな人形がほしい年頃なのでしょう。女の子は、目の不自由なお母さんにひな人形を「見て」欲しいのです。ひな人形の売り場の前までお母さんを連れてきて、女の子はお母さんの手を取り、そっと人形に触れさせました。お母さんはひな人形を愛おしそうにそっと触りました。しばらくひな人形を触っていたお母さんは、「ほんと、きれいだね」と言いました。

ひな人形お母さんは目が不自由でも、心の目はしっかりと見えているのです。心の目を持って人形を見てみると、一体の人形にたくさんのエピソードが詰め込まれていることが分かります。