高野山での修業時代には、食事の前に食事作法(じきじさほう)をしていました。食事を前にしてチンプンカンプンな漢文や般若心経を唱えることは苦痛でなりませんでした。
修行を終えて30年も経つと、当時を客観的に捉えることも出来るようになりました。
高野山が発行している仏前勤行次第に在家(お坊さんではない人)向けの食事作法が載っています。お坊さん向けに比べるとずいぶんと省略されていますが、大事な部分は残っています。
食事作法(在家向け)を見てみましょう。
まずは呪願(じゅがん)です。
雨風(天候)が順調でありますように
五穀豊穣でありますように
十方の施主(すべての人々)が災いや障りが消えて幸福で長寿でありますように
食事を食べる前に天候や人々の幸福を祈ります。
私たちが食事ができるのは天候が安定して作物が収穫されたからです。それに関わる人々の幸せも祈るのです。
次に五観(ごかん)です。
1つには 己の行為を省みて、この食べ物が如何にして作られたかを思う
2つには 己の徳を積む行いが、完全であるか欠けているか、多いか少ないかを思う
3つには 善い心を妨げ過ちを起こすのは、貪りと怒りと愚痴であると思う
4つには 食べ物は命を養うためであり、正しい食べ物を必要なだけ摂ることを思う
5つには正しき生活を目標にして、いたずらに世の栄達を願わざるを思う
五観では、自分の行為を省みて食べ物は必要なだけ摂り、正しい生活をすることを誓います。
正食の偈(しょうじきのげ)では
食事を頂くときは、感謝をもって頂くとともに信仰の喜びを心の糧とすべきことを思う
感謝と信仰を心の糧とせよと説きます。生きるためにはいつも自分の行為を見直して、暴飲暴食せず感謝をもちたいですね。
最後に誓願の偈(せいがんのげ)です。
心の中で
「一切の悪を断つために」(ご飯を一口食べる)
「一切の善を修するために」(ご飯を一口食べる)
「一切の生を度するために」(ご飯を一口食べる)
「仏道に廻向するために」(おかずを一口食べる)
上記を唱えてから食事を始めます。
仏教ではご飯を一口食べるたびに祈りを捧げるのですね。
食事が終われば
食きょうの偈(じききょうのげ)では
食事を終わりしときは、正しき食事の作法とはそのまま修行の道なることを思うべし
と唱えます。
食事も修行になるのですね。
美味しく食事を頂くことは大事ですが、食事に関わる人々を思い感謝と信仰の心の糧としたいものです。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますよう祈念しております。