二七日の意味とは?

1月も最終日になりました。

 

1月半ばに亡くなられた方の七日参りが始まります。

以前より体調は思わしくなかったのですが、通院しながら自宅で療養しておられました。

故人が亡くなった日も、ご近所の方が様子を気にしていたと言います。まだご近所付き合いが残っている地域ならではのことですね。

 

さて、亡くなられた方は仏式でお葬式をされました。

仏式でお葬式をされたということは、故人は導師(葬儀を行った御住職)によってお坊さんとなり死出の旅に発ちました。

 

ただ、一人旅なのでどこへ行って良いのやら、どこへ向いていけば良いのやら分かりません。

そこで故人が迷わないように導いてくださる仏さまが13人いると仏教では説きます。

毎回違う仏さまと出会いながら故人は旅を続けていきます。

 

故人が二七日(ふたなぬか)に出会う仏さまは釈迦

如来(しゃかにょらい)

です。

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釈迦

如来

は、お釈迦

さまが亡くなった後に信仰されている仏さまです。

 

お釈迦さまは歴史上実在した人物で、今から約2,500年前に悟りを開き教えを弘めた方です。仏教の開祖ですね。

80歳で生涯を閉じるまで悟りを開いたことを人々に伝え、亡くなった後も自らの教えに従って生きていきなさいと弟子たちを導きました。

弟子たちはお釈迦さまの教えを今に伝えて仏教となっています。

 

故人は、二七日になると仏教の開祖

である釈迦如来のもとへたどり着きます。

そしてお釈迦様に「この道に進んで大丈夫でしょうか?」と尋ねるのです。つまり、お釈迦様に入門願いに行くのです。

 

すると釈迦如来は「よく来ましたね」と旅をねぎらってくださいます。

そして「何も心配しなくても良い。この道で間違いないので安心して歩いて行きなさい」と仏教入門を許されるのです。

 

故人もお釈迦様と出会うことができホッとひと息ついていることでしょう。

ご遺族も慌ただしく過ぎていった葬儀から2週間が経ち、少しホッとしていることと思います。

 

 

釈迦如来は右手で「施無畏の印(せむいのいん)」を、左手で「与願の印(よがんのいん)」を結んでおられます。

施無畏とは畏れや煩いのない平安な状態にして差し上げるという意味です。

与願とは仏さまが願いを聞き届け、希望を与えてくださるという意味です。

 

三七日に向けて旅を続けていく勇気をもらうことができることでしょう。

 

合掌

 

仏教の知恵で心豊かに過ごせますように祈念しております。

理由もなく読経をするのはおかしい?

本堂で一人静かに読経していると、「何のために読経をしているのか」と問う人がいました。

問うた人は、読経は供養のために唱えるものであり理由もなく読経するのはおかしいと思っているようです。

 

私は一寺を預かる住職です。

誰のためでもなく御本尊に祈りを捧げるのは住職の役目です。

「何のために読経しているのか」という問いには、「私が住職という役目を与えられているから」です。

 

誰でもが住職になれるわけではありません。

どんなに信心が篤くても、どれだけ仏教に通じていても、御縁がなければ住職になることはできません。

めったにない御縁によって住職になっているからこそ、一人静かに読経して御本尊に祈りを捧げるのです。

困ったときだけ、調子のいいときだけ御本尊に頼るのではありません。

何もないときだからこそ、御本尊に祈るのです。

 

高野山の先生に言われたことを今でも思い出します。

「あなたたちは将来、寺の住職になっていくことでしょう。寺の住職である前にひとりの僧侶であることを忘れてはいけません。俗な言い方をすれば、お布施をもらわない読経をどれだけできるかがあなたの僧侶としての価値を決めるのです」

 

読経は供養のために唱えるものであり理由もなく読経するのはおかしいと思う人もいます。

でも、私は僧侶として、住職という役目を与えられた者として一人静かに読経したいと思います。

 

空海は

「私たちの身体は満開になった花ようにいつか枯れ落ちてしまうけれど、心は香りのように漂うものだ」と説きました。

私の香りが残り香のように漂うことができるよう精進したいものです。

 

合掌

 

仏教の知恵で心豊かに過ごせますように祈念しております。

育メン坊主のひとりごと

子育ての悩みを仏教で解決するQ&A

 

Q. 第2子を帝王切開で出産予定です。

手術日が不成就日に当たるので日程を変えてもらいましたが、これでよかったのかと悩んでいます。

育メンぼうずの中村が答えます。

A.出産は母子ともに身体の負担が大きいものです。なるべくリスクが少なくなるよう気を遣うものです。
帝王切開の手術日が不成就日に当たることが気になるのですね。

不成就日とは干支と陰陽五行説により決められます。バイオリズムのようなものです。

子どもが生まれる日は天の采配です。子どもにとって最もよい日時に生まれてきてくれます。

暦などは気にしなくてもよいでしょう。

 

それよりも、大切なことがあります。

出産はお母さんにしかできないことです。命をかけてまで新しい生命を生み出すことです。

仏教では身施(しんせ)と説きます。自分の身体を使って行う布施です。

生まれてくる子どもが元気であるよう、祈り精進してください。

かけがえのない瞬間が待っています。

母子ともに健康でありますよう祈念しております。

 

合掌

実は私は作家です

大きな声で言っていないのですが、私は作家なのです。

今までに4冊の本を出版させてもらいました。

1.電子書籍Kindle版『積み重ねる生き方 ~空海に学ぶ自分の人生に満足する法~』フォレスト出版

空海上人の生涯をたどりつつ、私の生き方を模索した様子を書いています。
さらに、空海上人が語らなかった空白の7年間にしていたこととは?について考察しています。私なりに力作です。
Amazonリンク https://amzn.to/2PkrxA4

2.『人を想うこころ ~人生で大切な恩と供養の話~』

なぜ先祖供養をしなくてはいけないのか。そして亡くなった人はどうなるマカを仏教的に説き明かします。後半は、空海上人が説いた人生で大切な四つの恩について考えます。
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3.『一日一善』

私の法話原稿を1冊の本にまとめました。発刊から10年になますが、いまだにに問い合わせを頂きます。
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4.共著『薬師堂ものがたり』
お寺の護摩供養に集まった人たちが高島俊裕氏に話した実話をもとに、中村太釈氏がだれもが気軽に読めるようにまとめた霊験譚全10話。どれも薬師如来にまつわる、心あたたまるお話です。
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残念ながら『一日一善』と『薬師堂ものがたり』は在庫も終了し、中古販売も限られていて入手困難です。私の手元にも在庫はありません。

『人を想うこころ』は10冊程度の在庫があます。ホームページ https://houwa-kanonji.com/ よりお問い合わせください。

先日ブログを通じて『人を想うこころ』を送らせてもらうことになりました。仏縁はありがたいですね。

仏教の知恵で心豊かに過ごせますように祈念しております。

合掌

高野山に伝わる不動明王の話

高野山にはいくつもの昔話が伝わっています。その中で不動明王に関する話を紹介します。
不動明王は青い身体に炎を背負い、手に剣と縄を持つ恐ろしい顔をした姿をしています。一般に仏さまはすっとした優しそうな姿を思い浮かべますが、不動明王はどう見ても怒っています。これが「仏さまである」と言われても信じる人は少なかったことでしょう。
しかし、お大師さまは中国へ留学するときに船の舳先に不動明王をまつり祈りました。嵐に遭ったとき不動明王の剣で波を切り裂き船道を作ったと伝わっています。そのときの不動明王は波切り不動(なみきりふどう)と呼ばれ、現在でも高野山に現存しています。日本各地に波切り不動の写しとされる仏像をまつるお寺もあります。
お大師さまが中国へ渡る航海途中には、もうひとつ不動明王にまつわる話があります。
当時の航海技術は未熟なものでした。4隻の船団で中国大陸を目指しますが、到着するのはわずか2隻でした。生きて中国に渡ることができる確率は50%しかなかったのです。お大師さまの乗った船も中国大陸を目指す途中で嵐に遭い、帆が折れ櫂を失い大海原を漂流するしかありませんでした。あるとき、ついに船底から浸水が始まりました。「もう、ここまでか」と観念したとき、浸水がピタリと止まりました。
無事に中国大陸に接岸することができたとき、船底を見るとアワビが船底にあいた穴を塞いでいるではありませんか。お大師さまがアワビの貝を取ってみると、そこには不動明王の姿が見えたといいます。
不動明王は困ったときに助けてくださる仏さまです。コロナ禍で不自由な生活を強いられていますが、お不動さまを熱心に信仰しておられる方にはきっとお不動さまの御利益が得られることでしょう。

疫病は繰り返す

疫病は繰り返す
先日100回忌の供養がありました。
戒名から推測すると、おそらくは10歳まで生きることができずに亡くなった方です。
100年前に何があったのでしょうか。
スペイン風邪(今で言うところのインフルエンザ)が猛威をふるい全世界で感染者が発生し、世界人口の4割が亡くなったという疫病が発生しました。2020年初めごろから発生した新型コロナウィルス感染症とよく似ています。
100年前は今のように防疫(感染症に罹らないようにする知識)はなかったことでしょう。対処法が分からず不安よりも恐怖に怯える日々だったことと想像します。免疫力の弱い子どもがたくさん亡くなったようです。看病でそばにいた親とともに亡くなった例もあるでしょう。
100年のサイクルで疫病は繰り返すものです。そして、今でもインフルエンザは毎年流行します。でも、人類の叡智によりインフルエンザの感染者は発生しても重症者は格段に減りました。
新型コロナウィルス感染症もインフルエンザと同じように、感染症は無くなることはないけれどもワクチンなどの対処法が分かるようになるでしょう。
100年前にインフルエンザで亡くなったであろう子どもを、子孫が大事に供養していってあげてほしいものです。

いのちを学ぶ

いのちを学ぶ
 
インスタ映えスポットとしてCUEテレビにて觀音寺のイチョウを紹介してくださいました。
 
私もインタビューに応じ、イチョウに関するエピソードを話しました。残念ながら番組ではカットされた「いのちを学ぶ」を紹介します。
 
今では七十歳を迎える方の少年時代はお寺の境内が遊び場でした。イチョウの木に登る競争をして楽しんでいたようです。
 
なかなか登れない子、途中まで登ったら怖くなっておりられない子、スルスルと上まで登っていく子など運動能力に応じて楽しんでいました。
 
スルスルと上まで登っていく子は、高いところに鳥の巣を見つけることがありました。巣をのぞくと卵があったので持っておりました。はじめは珍しがっていましたが、しばらくすると「この卵、どうする?」という話になりました。
 
鳥の卵なので食べるわけにもいかず、かといってそのまま置いておけば猫に食べられてしまいます。相談の結果、鳥の巣へそっと戻しておいてやろうということになりました。
 
翌日から鳥の巣に戻した卵がどうなっているか見に行くことが日課になりました。
「今日は3つあったぞ」
「今日は親鳥がいて、威嚇されたからそっとおりてきた」
「1つ卵からかえって雛がいたぞ」
などなど
 
ところがある日、卵は殻だけになっていました。きっとカラスに食べられてしまったのでしょう。鳥の巣を見に行った子は、卵はカラスに食べられてしまったことを友だちに報告しました。
 
みんなで雛になることなくカラスに食べられてしまった卵の命を悲しみました。弱肉強食であることは知っていても、目の当たりにするとショックなものです。子どもたちは誰からともなく「命って大事だよな」という話になりました。
 
遊びの中で命の大切さを学んでいった時代がありました。命の尊さが心に染みます。
 
空海も「命はいつ始まって、いつ終わったのか誰も知らない」と説きました。命の限りが分からないからこそ、今を精一杯生きたいものです。

一周忌はなぜ「むかわり」というの?

なぜ一周忌は「むかわり」と言うの?
 
一周忌を別の言い方をすれば「むかわり」と言います。諸説ありますが、私はむかわりの意味は”迎えに来てくれた人と再び出会う”ではないかと考えます。
 
故人は死出の旅につくにあたり13人の仏さまに導かれます。それぞれの回忌で違う仏さまと出会い、学びを深めていきます。
 
一周忌は13人の仏さまのうち勢至菩薩(せいしぼさつ)と出会うといわれています。
 
勢至菩薩は故人の臨終の時に迎えに来てくださる仏さまの1人です。臨終のお迎えには阿弥陀如来を先頭として勢至菩薩や観世音菩薩、地蔵菩薩がおられます。きらびやかな音楽を奏でながら迎えに来てくださるそうです。
 
臨終のお迎えでであった勢至菩薩にもう一度出会うので「むかわり」と言われるようになったと考えます。命日から満一年を迎え、故人もさらに高い悟りへと歩んで行かれるのでしょうね。

高野山の昔話「数取り地蔵」

昨日のゆったり寺ヨガで一口法話をさせてもらいましたので、こちらで内容をシェアします。
 
高野山に伝わる昔話「数取り地蔵」
 
高野山奥之院にいたる道は2つあります。1つは広い駐車場があり石の鳥居をくぐって歩いて行く「中の橋」、もうひとつは昔からある奥之院にいたる「一ノ橋(いちのはし)」です。
 
最近は観光バスで中の橋駐車場から歩くことが多くなりました。距離も短く歩きやすいからです。10月18日(日)に大師号下賜1100年記念で写経奉納式に出席するため奥之院へ向かいました。久しぶりに一ノ橋から歩いてみました。
 
一ノ橋から入ってすぐあたりに数取り地蔵というお地蔵さんがまつられています。数取り地蔵は手に数珠を持ち奥之院にお参りする人を数えていました。
「今日は10人奥之院にお参りに行って、10人帰ってきたな」
 
ところが、数取り地蔵は奇妙なことに気がつきました。
ときどき10人奥之院にお参りに行ったはずなのに、7人しか帰って来ない日があるのです。それも、夕方から夜にかけてお参りに行った人が帰ってこないことが多かったのです。
 
そこで数取り地蔵はお大師さまにお参りに行った人が帰ってこないことがあることを相談しました。数取り地蔵は数珠で数を取っているから間違いないと自信満々です。
 
お大師さまは奥之院からのお参りで帰ってこない人が多い夕刻から夜にかけて参道を歩いてみました。すると確かに物の怪のような不穏な気配があります。気配はだんだん強くなっていき、やがて山肌と思っていたところに赤い目がぎょろりと2つ現れました。そして細くて赤い舌をちょろちょろさせているのです。
 
そこにいたのは大蛇でした。大蛇が奥之院にお参りする人をひと飲みにしていたのです。お大師さまは数珠を摺りながら真言を唱え始めました。
「ノウマクサンマンダバザラダン センダマカロシャダソワタヤウンタラタカンマン」
そうです。不動明王の御真言です。
お大師さまの身体はみるみるうちに不動明王へと変わっていき、炎で大蛇を追い詰めました。
 
大蛇も負けじと火炎を吐き応戦しますが、お大師さまの法力には適いません。ジリジリと追い詰められやがて洞窟へと追い込まれました。お大師さまは持っていた竹箒で「エイッ」と大蛇を洞窟へと封じ込めてしまいました。
 
お大師さまは数取り地蔵のところへ戻り、大蛇は洞窟に封じ込めたから心配ないことを伝えました。ただし、とお大師さまは言いました。
「大蛇を封じ込めるときに竹箒を使ったから、掃除をするときは竹箒は使ってはいけないよ。大蛇が封印を解いて出てくるかもしれないからね」
 
それからというもの、奥の院の参道を掃除するときは竹箒を使わずクロモジの箒を使うようになったそうです。
 
ところが、先月私が奥の院の参道を歩いていたときボランティアで掃除をしておられる方は竹箒を使っていました。今はお大師さまのご加護があるので、大蛇の心配をすることなくお参りできるようになったのでしょうね。

諸行無常

諸行無常 今日と同じ明日はない

先日一周忌の法要を勤めさせてもらいました。
90歳を越えての大往生でしたが、訃報は突然でした。
1年ほど前に故人の夫に当たる方の13回忌法要を勤めさせてもらいました。
故人は私の斜め後ろ辺りにちょこんと座り、孫やひ孫に囲まれて笑顔を絶やさず、耳もしっかり聞こえておられるようでした。年相応に足腰は弱っているようでしたが、私も「まだまだ長生きされるだろうな」と思ったことを思い出します。
訃報は同年の年末近くにもたらされました。ひとり息子の喪主様はずいぶんと精神的に参っておられるようでした。誰もが思いもよらないことであったようです。
「突然でないお葬式はない」と私は常々言っていますが、故人とご遺族の別れは突然すぎて戸惑いが大きかったようです。
仏教では突然のことは起こりうるものだとして「諸行無常」を説きます。今日と同じ明日は来ないのです。今日見た川の水は2度と同じ水を見ることができません。亡くなってしまったことを悔やむよりも、故人をいつまでも忘れない供養を続けていくことが心の平安を取り戻す近道なのです。
一周忌には故人のひ孫が参列していました。ひいおばあちゃんが亡くなったとき、彼は1歳ぐらいだったはずです。ほとんどひいおばあちゃんの記憶はないはずなので、両親などひいおばあちゃんの記憶がある人が語り継いでほしいものです。