実は私は作家です

大きな声で言っていないのですが、私は作家なのです。

今までに4冊の本を出版させてもらいました。

1.電子書籍Kindle版『積み重ねる生き方 ~空海に学ぶ自分の人生に満足する法~』フォレスト出版

空海上人の生涯をたどりつつ、私の生き方を模索した様子を書いています。
さらに、空海上人が語らなかった空白の7年間にしていたこととは?について考察しています。私なりに力作です。
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2.『人を想うこころ ~人生で大切な恩と供養の話~』

なぜ先祖供養をしなくてはいけないのか。そして亡くなった人はどうなるマカを仏教的に説き明かします。後半は、空海上人が説いた人生で大切な四つの恩について考えます。
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3.『一日一善』

私の法話原稿を1冊の本にまとめました。発刊から10年になますが、いまだにに問い合わせを頂きます。
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4.共著『薬師堂ものがたり』
お寺の護摩供養に集まった人たちが高島俊裕氏に話した実話をもとに、中村太釈氏がだれもが気軽に読めるようにまとめた霊験譚全10話。どれも薬師如来にまつわる、心あたたまるお話です。
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残念ながら『一日一善』と『薬師堂ものがたり』は在庫も終了し、中古販売も限られていて入手困難です。私の手元にも在庫はありません。

『人を想うこころ』は10冊程度の在庫があます。ホームページ https://houwa-kanonji.com/ よりお問い合わせください。

先日ブログを通じて『人を想うこころ』を送らせてもらうことになりました。仏縁はありがたいですね。

仏教の知恵で心豊かに過ごせますように祈念しております。

合掌

高野山に伝わる不動明王の話

高野山にはいくつもの昔話が伝わっています。その中で不動明王に関する話を紹介します。
不動明王は青い身体に炎を背負い、手に剣と縄を持つ恐ろしい顔をした姿をしています。一般に仏さまはすっとした優しそうな姿を思い浮かべますが、不動明王はどう見ても怒っています。これが「仏さまである」と言われても信じる人は少なかったことでしょう。
しかし、お大師さまは中国へ留学するときに船の舳先に不動明王をまつり祈りました。嵐に遭ったとき不動明王の剣で波を切り裂き船道を作ったと伝わっています。そのときの不動明王は波切り不動(なみきりふどう)と呼ばれ、現在でも高野山に現存しています。日本各地に波切り不動の写しとされる仏像をまつるお寺もあります。
お大師さまが中国へ渡る航海途中には、もうひとつ不動明王にまつわる話があります。
当時の航海技術は未熟なものでした。4隻の船団で中国大陸を目指しますが、到着するのはわずか2隻でした。生きて中国に渡ることができる確率は50%しかなかったのです。お大師さまの乗った船も中国大陸を目指す途中で嵐に遭い、帆が折れ櫂を失い大海原を漂流するしかありませんでした。あるとき、ついに船底から浸水が始まりました。「もう、ここまでか」と観念したとき、浸水がピタリと止まりました。
無事に中国大陸に接岸することができたとき、船底を見るとアワビが船底にあいた穴を塞いでいるではありませんか。お大師さまがアワビの貝を取ってみると、そこには不動明王の姿が見えたといいます。
不動明王は困ったときに助けてくださる仏さまです。コロナ禍で不自由な生活を強いられていますが、お不動さまを熱心に信仰しておられる方にはきっとお不動さまの御利益が得られることでしょう。

疫病は繰り返す

疫病は繰り返す
先日100回忌の供養がありました。
戒名から推測すると、おそらくは10歳まで生きることができずに亡くなった方です。
100年前に何があったのでしょうか。
スペイン風邪(今で言うところのインフルエンザ)が猛威をふるい全世界で感染者が発生し、世界人口の4割が亡くなったという疫病が発生しました。2020年初めごろから発生した新型コロナウィルス感染症とよく似ています。
100年前は今のように防疫(感染症に罹らないようにする知識)はなかったことでしょう。対処法が分からず不安よりも恐怖に怯える日々だったことと想像します。免疫力の弱い子どもがたくさん亡くなったようです。看病でそばにいた親とともに亡くなった例もあるでしょう。
100年のサイクルで疫病は繰り返すものです。そして、今でもインフルエンザは毎年流行します。でも、人類の叡智によりインフルエンザの感染者は発生しても重症者は格段に減りました。
新型コロナウィルス感染症もインフルエンザと同じように、感染症は無くなることはないけれどもワクチンなどの対処法が分かるようになるでしょう。
100年前にインフルエンザで亡くなったであろう子どもを、子孫が大事に供養していってあげてほしいものです。

いのちを学ぶ

いのちを学ぶ
 
インスタ映えスポットとしてCUEテレビにて觀音寺のイチョウを紹介してくださいました。
 
私もインタビューに応じ、イチョウに関するエピソードを話しました。残念ながら番組ではカットされた「いのちを学ぶ」を紹介します。
 
今では七十歳を迎える方の少年時代はお寺の境内が遊び場でした。イチョウの木に登る競争をして楽しんでいたようです。
 
なかなか登れない子、途中まで登ったら怖くなっておりられない子、スルスルと上まで登っていく子など運動能力に応じて楽しんでいました。
 
スルスルと上まで登っていく子は、高いところに鳥の巣を見つけることがありました。巣をのぞくと卵があったので持っておりました。はじめは珍しがっていましたが、しばらくすると「この卵、どうする?」という話になりました。
 
鳥の卵なので食べるわけにもいかず、かといってそのまま置いておけば猫に食べられてしまいます。相談の結果、鳥の巣へそっと戻しておいてやろうということになりました。
 
翌日から鳥の巣に戻した卵がどうなっているか見に行くことが日課になりました。
「今日は3つあったぞ」
「今日は親鳥がいて、威嚇されたからそっとおりてきた」
「1つ卵からかえって雛がいたぞ」
などなど
 
ところがある日、卵は殻だけになっていました。きっとカラスに食べられてしまったのでしょう。鳥の巣を見に行った子は、卵はカラスに食べられてしまったことを友だちに報告しました。
 
みんなで雛になることなくカラスに食べられてしまった卵の命を悲しみました。弱肉強食であることは知っていても、目の当たりにするとショックなものです。子どもたちは誰からともなく「命って大事だよな」という話になりました。
 
遊びの中で命の大切さを学んでいった時代がありました。命の尊さが心に染みます。
 
空海も「命はいつ始まって、いつ終わったのか誰も知らない」と説きました。命の限りが分からないからこそ、今を精一杯生きたいものです。

一周忌はなぜ「むかわり」というの?

なぜ一周忌は「むかわり」と言うの?
 
一周忌を別の言い方をすれば「むかわり」と言います。諸説ありますが、私はむかわりの意味は”迎えに来てくれた人と再び出会う”ではないかと考えます。
 
故人は死出の旅につくにあたり13人の仏さまに導かれます。それぞれの回忌で違う仏さまと出会い、学びを深めていきます。
 
一周忌は13人の仏さまのうち勢至菩薩(せいしぼさつ)と出会うといわれています。
 
勢至菩薩は故人の臨終の時に迎えに来てくださる仏さまの1人です。臨終のお迎えには阿弥陀如来を先頭として勢至菩薩や観世音菩薩、地蔵菩薩がおられます。きらびやかな音楽を奏でながら迎えに来てくださるそうです。
 
臨終のお迎えでであった勢至菩薩にもう一度出会うので「むかわり」と言われるようになったと考えます。命日から満一年を迎え、故人もさらに高い悟りへと歩んで行かれるのでしょうね。

高野山の昔話「数取り地蔵」

昨日のゆったり寺ヨガで一口法話をさせてもらいましたので、こちらで内容をシェアします。
 
高野山に伝わる昔話「数取り地蔵」
 
高野山奥之院にいたる道は2つあります。1つは広い駐車場があり石の鳥居をくぐって歩いて行く「中の橋」、もうひとつは昔からある奥之院にいたる「一ノ橋(いちのはし)」です。
 
最近は観光バスで中の橋駐車場から歩くことが多くなりました。距離も短く歩きやすいからです。10月18日(日)に大師号下賜1100年記念で写経奉納式に出席するため奥之院へ向かいました。久しぶりに一ノ橋から歩いてみました。
 
一ノ橋から入ってすぐあたりに数取り地蔵というお地蔵さんがまつられています。数取り地蔵は手に数珠を持ち奥之院にお参りする人を数えていました。
「今日は10人奥之院にお参りに行って、10人帰ってきたな」
 
ところが、数取り地蔵は奇妙なことに気がつきました。
ときどき10人奥之院にお参りに行ったはずなのに、7人しか帰って来ない日があるのです。それも、夕方から夜にかけてお参りに行った人が帰ってこないことが多かったのです。
 
そこで数取り地蔵はお大師さまにお参りに行った人が帰ってこないことがあることを相談しました。数取り地蔵は数珠で数を取っているから間違いないと自信満々です。
 
お大師さまは奥之院からのお参りで帰ってこない人が多い夕刻から夜にかけて参道を歩いてみました。すると確かに物の怪のような不穏な気配があります。気配はだんだん強くなっていき、やがて山肌と思っていたところに赤い目がぎょろりと2つ現れました。そして細くて赤い舌をちょろちょろさせているのです。
 
そこにいたのは大蛇でした。大蛇が奥之院にお参りする人をひと飲みにしていたのです。お大師さまは数珠を摺りながら真言を唱え始めました。
「ノウマクサンマンダバザラダン センダマカロシャダソワタヤウンタラタカンマン」
そうです。不動明王の御真言です。
お大師さまの身体はみるみるうちに不動明王へと変わっていき、炎で大蛇を追い詰めました。
 
大蛇も負けじと火炎を吐き応戦しますが、お大師さまの法力には適いません。ジリジリと追い詰められやがて洞窟へと追い込まれました。お大師さまは持っていた竹箒で「エイッ」と大蛇を洞窟へと封じ込めてしまいました。
 
お大師さまは数取り地蔵のところへ戻り、大蛇は洞窟に封じ込めたから心配ないことを伝えました。ただし、とお大師さまは言いました。
「大蛇を封じ込めるときに竹箒を使ったから、掃除をするときは竹箒は使ってはいけないよ。大蛇が封印を解いて出てくるかもしれないからね」
 
それからというもの、奥の院の参道を掃除するときは竹箒を使わずクロモジの箒を使うようになったそうです。
 
ところが、先月私が奥の院の参道を歩いていたときボランティアで掃除をしておられる方は竹箒を使っていました。今はお大師さまのご加護があるので、大蛇の心配をすることなくお参りできるようになったのでしょうね。

諸行無常

諸行無常 今日と同じ明日はない

先日一周忌の法要を勤めさせてもらいました。
90歳を越えての大往生でしたが、訃報は突然でした。
1年ほど前に故人の夫に当たる方の13回忌法要を勤めさせてもらいました。
故人は私の斜め後ろ辺りにちょこんと座り、孫やひ孫に囲まれて笑顔を絶やさず、耳もしっかり聞こえておられるようでした。年相応に足腰は弱っているようでしたが、私も「まだまだ長生きされるだろうな」と思ったことを思い出します。
訃報は同年の年末近くにもたらされました。ひとり息子の喪主様はずいぶんと精神的に参っておられるようでした。誰もが思いもよらないことであったようです。
「突然でないお葬式はない」と私は常々言っていますが、故人とご遺族の別れは突然すぎて戸惑いが大きかったようです。
仏教では突然のことは起こりうるものだとして「諸行無常」を説きます。今日と同じ明日は来ないのです。今日見た川の水は2度と同じ水を見ることができません。亡くなってしまったことを悔やむよりも、故人をいつまでも忘れない供養を続けていくことが心の平安を取り戻す近道なのです。
一周忌には故人のひ孫が参列していました。ひいおばあちゃんが亡くなったとき、彼は1歳ぐらいだったはずです。ほとんどひいおばあちゃんの記憶はないはずなので、両親などひいおばあちゃんの記憶がある人が語り継いでほしいものです。

お薬師さんの薬つぼ

今日の天気は晴れときどきウィルス?

今回は『日本村100人の仲間たち TheHOPE』を紹介します。


ソーシャルディスタンスを取ることを「ジャイアントパンダ一頭分の距離を開けましょう」と言われたらちょっと楽しいですね。
ディズニーランドが閉鎖されたとき、世界中の子どもはみんなこう言いました。「ミッキー、ゆっくり休んでね」
新型コロナウィルスの感染症が教えてくれたことは3つあると本書に書かれています。

皆さんはどんなことだと思いますか。考えてみてください。

育メン坊主のひとりごと

あなたの迷いごとに育メン坊主が答えます。

Q.1人の育児は精神的に辛いです。夫から、仕事を辞めて専業主夫として育児をすると提案がありました。
自分が育児を苦痛に感じてしまうせいで、夫のキャリアが中断されてしまう罪悪感があります。どうするべきなのでしょうか

A. 親のキャリアは有限ですが、子どもが親といられる時間も有限です。自分が関わることができる育児と仕事の範囲を見極めてはどうでしょうか。1人育児は精神的に追い詰められるものです。夫婦で分かち合うことができるなら貴重な時間になると思います。夫のキャリアは夫が決めることです。なんでも抱え込まないようにしたいものです。

普段使っている仏教語「共同」

普段使っている仏教語
 
共同作業など「共同」という言葉は日常的に使っていますが、もとは仏教語であることは知っていますか?
 
仏教語では共同と書いて「ぐどう」と読みます。すべての存在は必要があって存在しているのだから、全員がよい状態に暮らしていけるようにするという意味です。
 
自分だけよければそれでいいのでは、真の幸せはやってきません。かといって自分を犠牲にして他人に尽くせばよいかというと、そうでもありません。
 
7つの習慣では自分だけよければよいをWin-Lose、自分を犠牲にして他人に尽くすをLose-Winと表現しています。どちらも不満が残りよい人間関係が築けません。
 
目の前にいる人にできる限りの心を尽くす共同の心で生きたいです。
 
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