なぜ、観世音菩薩という名前がついたのですか?

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

なぜ、観世音菩薩という名前がついたのですか?

観世音菩薩は、相手に応じてその姿を変えて救いの手をさしのべ、すべての生きとし生けるものを救うとされています。

観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)は困っていたり、悩んでいたりする人が口から思わず漏らす「うーむ」や「あーあ」など声にならない声を観察しています。

たとえば、あなたが親しい友人と些細(ささい)な行き違いでトラブルになってしまい、胃がキリキリと痛んでいたとしましょう。

胃の痛みは、一定時間の周期で差し込むようにあなたを襲ってきます。あなたが痛みをこらえるとき、気がつかないうちに「うーむ」のように声にならないようなうめきを発しています。

胃の痛み

そのうめき声を発しているあなたのことを、それとなく気遣う人がいると思います。

あなたが気づかないうちに発している、「うーむ」のような声にならない声を観世音菩薩はとても慈悲(じひ)深く、あなたの苦しみの声や救いを求める声をよく観じて聞いてくださるため、世の音を観る「観世音」という名前の由来となりました。

観音さまは困っている人を救う仏さま

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。
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なぜ、供養をしなくてはいけないのか。 なぜ、恩が大切なのか。 本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

観音さまは困っている人を救う仏さま

百ヵ日忌に故人を導いてくださる観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)は、親しみを込めて観音さまと呼ばれます。
なぜ、親しみを込めた呼び方をされるのでしょうか。

観音さまの功徳(くどく)を書いた観音経(かんのんきょう)というお経では、観音さは人々の悩みにともなって三十三種類に姿を変えてあなたたちを救うと書かれています。

本来、観音さまは光り輝く都に住んでおられます。けれども、苦しみの海に沈んでいるあなたを救うために、観音さまは煩悩(ぼんのう)で濁ってしまったあなたの住む世界に現れて、慈(いつく)しみの心を持って助けてくださいます。

観音さまがあなたを助けてくださる様子は、自分で生きるための栄養をとることもできない赤ん坊が、母の慈(いつく)しみの心ですくすくと育っていく姿に例えられます。

観世音菩薩

観音さまは女性的に描かれますが、どこか母親のような雰囲気がありますね。

百ヵ日忌 哭(な)くことを卒業する日

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

哭(な)くことを卒業する日

近しい人が亡くなると、遺族は悲しむ間もなく葬儀・告別式を行わなくてはなりません。

弔問客に対する挨拶やお悔やみに対応していると時間ばかり過ぎてしまい、遺族の気持ちは置いて行かれてしまいます。
故人を失った寂しさや悲しみを受けとめきれず、何もする気もなくなってボンヤリしているうちに四十九日忌が近づいてきます。四十九日忌までに香典返しの発送手配をする必要があり、遺族は気が落ち着く間もありません。

四十九日忌で故人の遺骨を納骨してしまうと、遺族はやっと我に返り自分の感情に向き合う時間を取ることができます。
波のように寄せては返す感情に翻弄されていきます。突然涙が出てきて戸惑ったり、急に怒りっぽくなったり。
自分はどうかしてしまったのだろうかと気に病んでしまいそうになります。

感情の波が治まってきはじめるのが百か日忌ごろです。

 

百か日忌を別名、卒哭忌(そっこうき)と言います。哭(な)くことを卒業する日という意味です。

故人が亡くなったことを認め、遺族も元の生活に戻って行くことができるよう心がけるときなのです。
百か日忌で故人を導いてくださる仏さまは、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)です。

観世音菩薩

観世音菩薩は母のような優しい女性のように描かれます。
母の懐にいだかれているようで、故人も安心することでしょう。
また、観世音菩薩はあらゆる苦しみを取り除き、思いやりのこころを教えてくださる仏さまです。
遺族も観世音菩薩のご利益により感情の波に翻弄される苦しみを取り除いてもらえることでしょう。

 

四十九日忌は、なぜ旅立ちなのですか?

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。
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四十九日忌は、なぜ旅立ちなのですか?

人が亡くなってから四十九日間を「迷いの期間」といわれます。

故人は、「あちらの世界に行こうか、この世でもう少し居ようか」と迷います。また、死後の6つの世界を入口だけチラチラと見て回ります。

そして、故人は四十九日忌をもって新しい世界へと一歩を踏み出すのです。

四十九日忌旅立ち

故人が新しい世界へと歩き始めるにあたり、薬師如来(やくしにょらい)のご利益(りやく)により、故人のあらゆる苦しみも無くしてくださるのです。薬師如来は病を癒(い)やすだけではないのです。

故人は四十九日忌で薬師如来に導かれ、迷いの期間である四(し)十九日間を終えて新しい旅に出るのです。このため、四十九日忌を“旅立ち”というのです。

薬師如来は、なぜ名前に薬の字が入るのか

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
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薬師如来は、なぜ名前に薬の字が入るのか

仏さまはそれぞれにご利益(りやく)があります。薬師如来(やくしにょらい)は手に薬の壷である薬壷(やっこ)を持っています。

薬師如来

薬師如来が手に持っている壺(つぼ)のふたを開けると紫色の煙がふわふわと出ます。薬師如来が持つ薬壷から出る紫色の煙をかぶれば、どんな病気もたちどころに治るといわれています。

このため、病(やまい)が治りますようにと願(がん)をかけて薬師如来を御本尊とする寺院を参拝する(薬師霊場と言います)のです。

四国霊場札所八十八ヶ所のうち二十三ヶ寺のご本尊は薬師如来です。四国八十八ヶ所霊場を巡礼する参拝者は「病気が治りますように」と願い、薬師如来のご利益にあやかりたいと思う方もいるのです。

親孝行 したいときには 親はなく

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

親孝行 したいときには 親はなく

川柳(せんりゅう)でも詠(よ)まれる親孝行ですが、亡くなったからこそしてあげたい親孝行があるように私は感じています。ご遺族がなさっている親孝行という恩に対して、私は少しでも報いたいと思うのです。

親孝行

空海(くうかい)も「会い難く別れやすいのは、慈(いつく)しみ深い親の姿であり、去りやすく留まりがたいのは親のうるわしい心情である」と、言います。

明日が来ないと分かっているなら、後悔しないようにしたいものです。

六七日忌は、ねぎらいのとき

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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なぜ、恩が大切なのか。
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六七日忌はねぎらいのとき

翌週に四十九日忌(しじゅうくにちき)を控え、檀家さんにとって六七日忌(むなぬかき)で七日参りも最終回となります。

私は檀家さんに、
「よくお勤(つと)めされましたね」
とねぎらいの言葉をかけるようにしています。

二七日忌を迎えた檀家さん(ご遺族)は、お葬式の緊張も解けないままに当日を迎えます。初めて七日参りを経験する檀家さん(ご遺族)もおられるので、私はどのような流れで七日参りのお勤めをするのか説明するようにしています。

一週間がたつのは早いもので、檀家さんは追われるように次回の七日参りの準備をする必要があります。これを二七日忌から六七日忌まで毎週繰り返すのです。

場合によっては、ご遺族が親族に夕食などの食事の接待をすることもあるので、七日参りにおけるご遺族の負担は少なくありません。

それでもなおご遺族が私に七日参りを希望するのは、故人に対する想いがあるからに他なりません。

お仏壇

親孝行 したいときには 親はなく

川柳(せんりゅう)でも詠(よ)まれる親孝行ですが、亡くなったからこそしてあげたい親孝行があるように私は感じています。ご遺族がなさっている親孝行という恩に対して、私は少しでも報いたいと思うのです。

三十五日忌は遺族の応援が必要

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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三十五日忌は応援が必要

人が亡くなった後、旅を続けていくと言われています。どのような旅を続けていくのかを表した十三仏のストーリーを紹介しています。

法事のときに十三仏の掛け軸を準備することがあります。実は13人の仏さまを描く十三仏信仰は日本独特なのです。

十三仏の掛け軸

日本のお隣、中国では導いてくださる仏さまは10人しかいません。
その理由は、故人は毎週のように10人の魔王の前に引き出され裁判を受けると考えられているからです。

しかし、故人が裁判で不利にならないよう弁護士も就いてくださいます。弁護士が仏さまなのです。

五週目の三十五日忌では、10人の魔王の中で最も恐ろしい閻魔大王(閻魔大王)の前に引き出され裁判を受けます。

そして、生前のすべての行いを映し出す鏡の前に立たされるのです。

閻魔大王

故人が秘密にしておきたかったことも、すべて閻魔大王にはお見通しなのです。恐ろしいですね。

さて、閻魔大王に対する弁護士は地蔵菩薩です。地蔵菩薩は優しそうなお坊さんの姿として描かれますが、丁々発止の裁判で弁護士を務める強者なのです。

故人は地蔵菩薩の弁護を受けていても心細いものです。そこで、遺族は供養をすることで故人に良い行いをさらに追加し、応援することができます。

このため、三十五日忌にはまごころから手を合わせ供養するのです。

新刊ちょい読み なぜ地蔵菩薩は錫杖を持つのですか?

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

地蔵菩薩は、なぜ錫杖を持っているのですか?

地蔵菩薩は手に錫杖を持っています。六つの輪がついてシャンシャンと音を鳴らします。

錫杖

なぜ、地蔵菩薩は手に錫杖を持っているのでしょうか。

 

お坊さんが手に錫杖を持ち、シャンシャンと鳴らしながら唱える九條錫杖経(くじょうしゃくじょうきょう)というお経を見てみると、興味深いことが書かれていました。

「ひとたび錫杖の音を聞けば、怠け者は精進(しょうじん)し、戒律(かいりつ)を破るものは守るようになり、ケチな者は施(ほどこ)しをするようになり、怒(いか)れる者は慈悲(じひ)の心を持つようになり、愚痴(ぐち)を言う者は知恵を授かり、あっという間に菩提(ぼだい)の心(仏の心)を起こすようになる」
とあります。

 つまり、故人は五回目の七日忌である三十五日忌に、地蔵菩薩の錫杖の音で正しい道を知り、迷わず歩くことができるのです。

子どもを守る仏さま

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊されました。

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なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


 

子どもを守る仏さま

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は通学路の曲がり角(かど)や道の辻(つじ)におまつりされます。

なぜ、地蔵菩薩は子どもが通る道筋におまつりされるのでしょうか。

 

子どもが幼いときに亡くなると、体が小さいので広い三途(さんず)の川を渡ることができません。
子どもたちは天に届くまで石を積み上げるとお父さんやお母さんに再び会えると聞かされているので、河原のあちらこちらで石を積んでいます。
亡くなった子どもたちは、「一つ積んでは父恋し、二つ積んでは母恋し」と言いながら石を上へ上へと積んでいきます。

賽の河原

そこへ鬼がやってきて、「石を積んでも親には会えぬぞ」と、子どもが一生懸命に積んだ石を崩してしまいます。
子どもたちは父母に会いたい一心で積んだ石を鬼に崩され、再び父母に会えない悲しさでしくしくと泣いています。
これが、子どもたちの悲しい声が響く賽(さい)の河原(かわら)なのです。

 

賽の河原にふらりとやってくるのが地蔵菩薩です。

地蔵菩薩は子どもたちに一人一人優しく声をかけます。
「どうしたんだね」と地蔵菩薩に声をかけてもらった子どもたちは、
「石を天まで積んだらお父さんやお母さんに会えると聞いたから、石を積んでいたの。でもね、鬼が来て私が積んだ石を崩してしまったの。お父さんやお母さんに会えなくなってしまったのが、悲しくてつらくて泣いているの」
と涙ながらに地蔵菩薩に訴えるのです。

 

地蔵菩薩は、「そうか、そうか。それはつらかったね。さあ、私の袖(そで)の中にお入り」と言って、地蔵菩薩は子どもたちを袖の中へ優しく包み込んでくれるのです。そうすると、子どもたちは地蔵菩薩の力によって成仏(じょうぶつ)していくのです。

 

つまり、地蔵菩薩は子どもを守り、願いを叶えてくれる仏さまなのです。
それ故(ゆえ)に、子どもが通る道に地蔵菩薩がまつられ、子どもたちに危険がないよう見守っているのです。